MENU

『巨大魚と格闘、秋田の思い出胸に』秋田魁新聞

実は秋田生まれです。
母方が秋田県に縁があり、由利本荘市という小さな街で生まれました。
極真空手の大師範(かの大山倍達氏の一番弟子のうちの一人)だった祖父は実に好奇心旺盛な人物で、専門の薬学はもちろんのこと、山や海の自然科学から民俗学、歴史、経済、政治、心理学、さらにはオカルトチックな伝承に至るまで、ありとあらゆることに詳しかった。祖父の書斎と近所の田んぼが世界の全てだった。

初孫だった自分を大層可愛がってくれ、お気に入りの場所へと幼い僕を連れ回し、色々な景色を見せてくれた。その口から語られる訳のわからぬ「おもしろ話」は、幼かった自分に、家の外側に広がる世界の広がりとその面白さを教えてくれた。
かくして自分は好奇心旺盛な悪戯っ子へと育ち、祖父に鉄拳制裁を喰らうことで無事に伏線を回収して行ったのだった。
ちなみに自分の特濃眉毛は、祖父譲りのものである。

どちらかというと口数の多い人間ではなかったが、芯が強く、義理人情に熱い人柄だったようで、様々ぶっ飛びエピソードを残した。令和の時代に生きていたら、警察の世話になっていただろう。簡単には信念を曲げない頑固さも、もしかしたら祖父譲りかもしれない。

そんな豪快な祖父も晩年は病気の影響で不自由な身体になったが、自らの人生と向き合うことを諦めないその背中には、幼いながらも強烈な印象を抱いた。

憧れであり続けた祖父は、2018年の早春、自分の大学卒業を待たずに亡くなった。本荘は雪がしんしんと降っていた。
最後は末期癌で肝臓がボロボロになり、医師によると普通なら気を失っている程の激痛だったそうだが、全くそんな素振りは見せず本人はケロッとしていた。
普段と様子が変わらなかったせいで発見が遅れ、気づいた時には手遅れになっていたらしい。
朝風呂上がりに脳の血管が弾けた時も、動かない体を引きずって、自分で119番してたもんな(笑)
命の灯火が消えるまさにその間際まで武道家を貫き、本当に最後の最後までかっこいい男でした。
調子を崩してから、ほんの数週間でスッと逝ってしまった。

幼い自分に世界の広さとその面白さを教えてくれた祖父は、その死を以て人生における時間の有限性を教えてくれた。
爺さんの死をそう解釈した自分は、大学卒業後、ひとまず「手銛による魚突きの可能性」を追求することにし、今に至る。

生きてたら、今の自分を見て一体どう思うだろう。
海に潜って、でかい魚を仕留めて、ありがたく賞まで貰っちゃった孫をちょっとは誇らしく思ってくれるのだろうか?
意外と、「男は地に足つけないとダメだ!」とか言ったりするのかも。元気だった頃の祖父の記憶が薄れつつある自分には、そのどちらなのかもう、わからない。
でも、海の中で出会った信じ難い出来事の数々を、聞かせてあげたかった、と思う。幼い頃に自分がしてもらったように。

そんな祖父との特別な思い出を、こうして掬い上げ形にしてくださった秋田魁新聞社の皆様に、とても感謝しています。
ありがとうございました。

でもな爺さん、二歳の孫に梅酒の梅食わせたらあかんのよ。そのせいで俺、こんな人間になっちまったじゃねぇか(笑)

記事はこちらから読めます